昨日、そういえばあまちゃんの健診で近くの小児科に行った。待合室に入るといまどきの小児科っていうのはなんと素晴らしいおもちゃがあるなぁー。大人と等身大のサルの人形。木でできた大きな大きなお城のおもちゃなど子どもが大好きそうなものがいっぱいあった。
「あまちゃん、これで楽しく遊べるわよ!」なんて思ったけど、あまちゃんはこのうるさい子供達の中、グーグーと寝てしまって残念だった。名前を呼ばれて診察室に入って裸にするまで寝ていたもんだからすごい眠かったにちがいない。

待合室であまちゃんは寝ているもんだから私はちょっと他の子どもとお母さん達を観察。それにしてもどの家族も親子って似ている。なんか服に皺一つないような上品なママの息子くんはやはりピシッとした装いだが、躾が良すぎるのかとっても消極的だ。まわりを見てオドオドしていた。その隣に元気そうな女の子がそのでっかいサルの人形をズルズルと引っ張っていた。なんせ大人と同じ大きさの人形だ。そのおんなの子のママはすごい太っていたが、おおらかそうだ。ジーンズの上から下着が見えるほど無頓着なママ。しかし、気取りなく楽しそうに子どもと喋っていた。そのおんな子も元気そうで、ママにチューチューしていた。
トルコ人のパパはその娘とまったくおんなじ顔をしていた。眉毛がカモメのようなのだが、むすめもまったく同じ眉毛をしていた。無口なパパで、これまた娘も無口でもくもくと遊んでいる。

なるほど・・・、子どもはまったく親に似てしまうのねーなんて思っていたら能天気に寝ているあまちゃんは他のママ達に笑われていた。きっと、私もあまちゃんにそっくりなんだなと思ったらちょっぴり恥ずかしくなってきたのであった。

その後、私の後ろに置いてあった「エイズのものがたり」の雑誌をパラリと読んでみた。ゲイのカップルの写真ばっかりで、彼らのつくった芸術作品やらエイズとわかった時の心境など、インタビュー方式で書いてあったが、なぜこの雑誌が小児科にあったのだろう?

と前置きが長くなってしまったが、健診の結果は体の発達は何の問題はないし、病気もないがハーフという特別な状況で2カ国語の中で育っているので、言語面が心配と言われた。確かにもうすぐ2才となるのに20から30語しか喋れないあまちゃん。男の子だから遅いという面もあるしなー。

おかしかったのは医者に「すごいメカニックなことに興味を示す子だね。日本人だなぁ〜。パパはコンピュターのプログラマーなのかな?」なんて言われたこと。パパは「シュタイナー学校の先生です」と言ったら、医者もがっくりしていた。

でも、タイに行った時、ある人に私の子はメカニックな仕事に就くと予言されたことを思い出した。素質があるのかもなんて、親ばかでごめんなさい。

もうすぐ日本への帰国。このままあまちゃん、病気もせず元気でいてほしい。飛行機のキャンセルはいまさらできないのだ。

さっき、母から電話。箱根旅行は雨になりそう。ちょっとがっくり。



うしろにちらりと見えるのは、あまちゃんの従兄弟のフローリアン。はじめて彼女ができたのか喜びの日々。横にいるのが彼女。

初めての出産をドイツの病院で、しかもシュタイナーの考えに基づいた医学を実践しているちょっと特別な病院だったわけだが、ここまでの話ではどこが普通の病院と違うのと思われのでは?
特に私の場合は帝王切開になってしまって、現代医学の力にかなりお世話になったのは確か。

が、やっぱり赤ちゃんを産んでやっぱりここの病院は普通ではないと気付いたのであった。まずは手術しようが自然分娩でもすぐに赤ちゃんとママは同室だった。新生児室なんてなかった。すぐに一緒のベットで寝ることになってとっても嬉しかった。が、帝王切開後、お腹が痛くて泣いてもがいていた私には辛かった面もあった。なにしろ動けない。隣りに寝ていた違うママにあまちゃんのオムツなど取り替えてもらった。ナースコールをすると助産婦さんが来てくれて手伝ってくれたが、時間によっては忙しそうだった。お腹が痛くて私も泣いているが赤ちゃんも横で泣いていた。パパはオロオロ。

赤ちゃんは子宮からお腹を出て、急に手足がバタバタとできる環境になったわけだけど、これは外界の刺激が急すぎるということで、体は布でミイラのようにグルグル巻きにされる。手は巻かれなかったけど。そして頭が見えているのもよくないとのことで、生まれてすぐに帽子を被せられたのであった。日本ではどうなのかな?調べてみたら確か他のロシアの国や東欧では昔はそのように赤ちゃんを生まれたら動かないようにグルグルと顔以外は巻いていたよう。寒いからという理由もあるようだけど。

ドイツでも他の病院では違うようだ。他の病院ではすぐにパンパースと持参したベビー服を着せられるみたいだが、私の病院ではオムツから布まで綿や毛のいい素材のものを使われていて、さっき書いたようにあかちゃんはグルグル巻きだ。だから持ってきたベビー服の出番はなかった。

手術のせいもあって母乳がなかなかでなかった私。母乳、母乳と言われていたがでないものはでない。そんな時、病院では粉ミルクは使用されていなかった。水分の補給にFenchelのお茶、日本語だとウイキョウのお茶が赤ちゃんに与えられ、母乳のかわりに少し馬のミルクが与えられた。馬のミルクにはびっくり。馬のミルクって・・・。

後、色んなハーブが入っている母乳が良く出るお茶というのがあって、飲むように心がけていた。
そのほか、ホメオパシーの薬を与えられたことと、赤ちゃんに使うオイルやバスミルク、クリームなどは全部ヴェレーダの商品で
帰りもあかちゃん用のヴェレーダ商品をたくさんもらった。嬉しい。

病院で出るご飯も健康そうなものばかり。ベジタリアン用もあり。しかし祝い善などは残念ながらドイツにない。しかし、病院にケーキがおいしいカフェがあったのでこっそりケーキ食べに行っていた。

なんやかんや言って、10日間ほど病院生活をしていたが、自宅に帰ってからも、ドイツでは助産婦さんが10日間、毎日訪問してあかちゃんの体重を量ったり、お風呂に入れてくれたりといたれりつくせり。母親もドイツにはいなく、赤ちゃんの世話は無知だった私はこれで色々と学んだ。足りない物も次の日に持ってきてくれた。質問もたくさんできたし、おっぱいが出なくて、切れて泣くほど痛く、高熱が出た私は助産婦さんが来てくれたことで、本当に心強くなれたのであった。


そう、まさにエステで言えばフルコースを体験した私。ダラダラと手術もでしてしまったし。同じ頃、出産した友達は同じ病院なのに2時間で出産して、ご飯も食べずにすぐに帰宅したらしい。同じ出産でもこうも違う。

健康保険に加入していれば、お産に関しては最初から最後までいっさい払うものはなかった。しかも産んだとたんに国から半年間、なかなかの大金をもらい、それとは別に子どもが20歳になるまで2万円ほど毎月、銀行口座に振り込まれる。素晴らしい国ではないか。

それにしても、出産の体験って文で書くのは難しいというか、とってもつまらなくなってしまう。自分で経験してみないと嬉しさ、不思議さ、辛さと痛みがわからないけど、人生においてとっても極端なで特別な状況におかれるのは確かで特に女性にとっては貴重な体験だなと思う。

でも、子どもがさらに愛しく感じるのは、私の場合はその後の育児から。最初はこんなけがれのない赤ちゃんをこのボロ家に連れてっていいのかなぁと不安になったり。ちょっとぎこちなかった。でも、一緒に生活してあかちゃんがいることがあたり前な今日、そのあかちゃんと初めて会った日の事やお腹にいた日々の事をよく思い出してウフフとしてしまう。

最初にも書いたように、出産日記書いていたのにベルリンの小僧に盗まれ、町のゴミ箱を覗いたが当然見つからず・・・。
くやしいから、またメモ程度に書いてみた。けっこう覚えていたのには驚いたけど、そのときの感動はやっぱり伝えられなかった。でも再び書いてちょっぴり満足な私なのであった。



産まれたばっかりのあまちゃん。あんまり変わってないや。

産まれる寸前に赤ちゃんの頭が傾いてしまって、色々と体操をしたがやっぱり頭の位置は戻らなかったようだ。
子宮口も5センチしか広かなくて、ストップしてしまった。開かないのに陣痛がはじまってから何時間もたってしまって母体も段々と疲れてきた。
当然、自然分娩が希望だったのでここの病院に来たが、ここから現代医学の力を借りることにした。
まず、陣痛促進剤を手首に針をさし投入。点滴みたいに、針は刺しっ放しだったと思う。フラフラしながら部屋を歩かされた。しかし陣痛促進剤を段々と増やしても、赤ちゃんは頑固としてお腹から出るのが嫌そうだ。

すると、大ベテランの助産婦さんが私に言った。「私が子どもを産んだときもあなたとまったく同じように赤ちゃんの頭がまっすぐではなくて結局、帝王切開したの。本当は私の友達が分娩を手伝う予定だったのよ。」それを聞いて納得。助産婦の彼女でさえ、帝王切開なのだから、自然分娩ではきっと無理だから手術しようと思った。お風呂で産もうと新しいバスローブまで買ってしまったけどそれどころではないのだ。

それから、助産婦だけでなく、産婦人科の先生と麻酔医などが分娩室にガヤガヤと入ってきて私は書類にサインをした。

麻酔は無痛分娩の際に使用されるものと同じで、硬膜外麻酔というもので脊髄から注射する。かなり太い針らしくその前に細い針で針を刺す前に局部麻酔をする。それから、キリキリと太い針を
入れるのだ。なんか想像しただけで痛そうだけど手術を思うとたいした事がなかった。この麻酔は下半身のみの麻酔で意識もはっきりしているし、赤ちゃんに影響もないそうだ。

みなさんがこの麻酔に集中しているあいだ、陣痛促進剤が投入されていることを忘れられていた。麻酔がまだ効いてなかったのでお腹が痛くてたまらく何がなんだかわからくなった。「陣痛促進剤をはずすのを忘れています。」やっと誰かが気がついてくれた。
それから、栄養のためだか水分のためだか様々なチューブが腕に付けられた。

手術前の私は、まるで無抵抗でオーブンに入れられる前のクリスマスの七面鳥のようだった。お腹がパンパンなまま、はだかんぼで台に乗せられ宇宙ステーションのような部屋に運ばれた。

中には7,8人の緑の手術服を着た人達が私を囲んだ。みんなにっこり私に微笑みかけた。みなさんが手術の準備をしている時、私が「あのー、お腹の所に仕切りをしてくれるですよね。恐くて直視できないんですけど」と言ったら「大丈夫、カーテンしますから」と言われた。ところで、そんな会話をしている頃パパも手術服を着て、手術室に入ってきた。パートナーは手術も立ち会うらしい。緑の服を借りて着たパパは本物の医者に見えた。そして私の手をにぎってくれた。(ちなみにこの国ではパートナーは分娩の際はいつでも立会いらしい。当たり前で「立会いか、立会いでないか」はテーマにもならないようだ)

手術が開始された。痛みはないが、すごいひっぱられている感覚がして体が揺れた。すると・・・・・

「おぎゃー、おじゃー」と声が聞こえて何分かたった後、仕切りのカーテンを超えて赤ちゃんが私の左肩の上に来た。「この子がお腹にいた赤ちゃんだったのね。よろしく」と思った。小さくてかわいい!何よりも無事でよかった。

後からパパから聞いたが「男からすれば、帝王切開の立会いはマジックみたいなもんだよ。10分で赤ちゃんがポンって出てくるもんな」とのこと。

「このような手術は素晴らしいね」と手術をしてくれた人は言っていた。
手術する側もこのようなケースの手術はとってもポジティブな手術だと思った。お腹から赤ちゃんが出てくるなんて素敵ではないか。みんなニコニコとしている。

お腹の処理をして、ベットに乗ったまま再び分娩室に戻るとパパが上半身をはだかにして、赤ちゃんをおっぱいの上に乗せていた。「えっ」と思ったが、やけに嬉しそうだ。ママの代わりをやっていたとのこと。

その後、すぐにおっぱいをあげてみると、本当に噂どおりに黄色い母乳がちょっぴり出てきた。上手く吸えない赤ちゃん。でも、誰からも習っていないのに飲もうする人間の本能に驚いた。

まだ手術したばっかりだったが、その夜から赤ちゃんと一緒に寝た。パパがバッハのピアノ曲をかけてくれて、それが神聖な気分に盛り上げてくれた。そう、この日が私の生きていてもっとも神聖で神秘な日だった。

確かに自然分娩ができなかったことは残念だが、今思うとなんともあまちゃんらしい出産だったなぁと思う。予定日すぎてもなかなか出てこないところや、頭を傾けてしまうなんてまさに彼っぽい。出産から子どもの性格が出るって少し納得できる。まあ、私の体やマインドも色々と関係していると思うけど自分達らしさがでていれば、どんなお産の形でもいいのではないかと思ったのであった。

これは私の思い出作業のために書いているので、人にはつまらないかもしれないけど、ここまで読んでくれた方、ありがとうです。

もう一回、つづく。


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