絵画の作業所の横には、陶芸の作業所があって、お茶碗やお皿が売られていたのに、経営不振となって、その陶芸の作業所がすっかりなくなってしまっていました。


でも、その場所に新しい作業所が出来ていました。
「コーヒー焙煎」の作業所です。


私はすごく良いアイデアだと思いました。だって、お茶碗はなかなか買わないけれど、コーヒーだったら、日常的に買います。ドイツ人は普通に1日に5杯位、コーヒーを飲むんです。


選びぬかれたコーヒーは南米やインドネシアからの6種類。当然、オーガニックやフェアトレードのコーヒー豆です。
どうせコーヒーを買うなら、いいお金の使い方をしたいです。

コーヒーを挽いてもらったけれど、それも、6段階位あって細かく、やってもらえます。
コーヒーの淹れ方のアドバイスも色々としてくれるのです。


インドネシアのコーヒー豆でカプチーノ。


焙煎機の横がカフェになっています。
作業所で働く人も、休み時間で何人か来ていました。

私もカウンターで、コーヒーを飲んでいたら、色んな人が、自己紹介に来てくれました。私が日本から来たこと、東京という町にに住んでいたことを言ったら、盛り上がって「みんなで東京に行くぞ〜!」みたいになって、またまた大爆笑です。


なんて、ユーモラスで楽しいのでしょう...。「みんな笑いが凄いね〜」って言ったら、「笑うの大切でしょ」って言われました。
あ〜、幸せな職場だな。


家に帰ってこっそりシュタイナーの「治療教育講義」という本をめくって見ました。

「この子を教育するには、何が必要でしょうか。重たい雰囲気ではなく、ユーモアです。本当のユーモア、生活のユーモアです。必要な生活のユーモアがなければ、どんな頭のいい手段を講じたとしても、こういう子どもを教育することはできません。ですから人智学運動においても、軽やかさの感覚を持つ必要があるのです。多すぎる必要はありません。しかし、少なくとも、どうしたらいいのかと問われたら、感激することが大切なのだ、と答えられるようでなければなりません。障害のある子には、感激することが大切なのです」第六講より

短い作業場の訪問でしたが、大切なことをまた学んだ気がします。

これからは、ちょくちょく、作業場までコーヒーを買いに行きますね!


ニコ君の通っているシュタイナー幼稚園の同じ敷地内には、障害を持った人達のための大きな作業所があるんです。

昨日、絵画の作業所で職員として働いている芸術家のオットーさんに、バス停で会って、世間話とかしていたんだけど、どうせなら作業所まで行って、みんながどんな絵を描いているのか、見に行くことにしました。


思いたったら直ぐに行動という事でさっき作業所に行って来ました。

ここの作業所はシュタイナー系の作業所なんです。

絵画の他には、ライアーなどの楽器、フェルト、革、ノート、木工、パンなど色んな作業所が同じ建物内に入っています。


オットーさんの案内で絵画の作業所へ....。


ちょうど、休憩中でした。みんながニコニコとしてくれて安心しました。そんな中で、自己紹介。
やっぱりブログにみんなの事や絵も載せたいなと思って、写真を撮って、ブログに載せていいか聞いたら、オーケーだそうです。
むしろ、みんな日本で有名になりたいとか言い出して、大笑いになりました。

絵画の作業所で働く人は12人だそうです。
みんな本当に素敵な絵を描いているんです。


カラフルで、子どもように心が踊っているような絵(表現ができないな。。)が多かったです。


休憩とお昼ご飯を挟んで、毎日、8時間も絵を描いているそう....。


休憩時間なのに、絵を描くシュテファンさん。


シュテファンさんの作品。小さい作品を沢山作っています。


ろうそくも本当に上手に描けています。 

ところで、ここを私に導いてくれた芸術家のオットーさんってもしかしたらただ者ではないのかも知れません。わたし達の町に亡きピナ・バウシュというダンサーが監督を務めていた有名なダンスグループがあるんです。

オットーさんも交えて絵画や障害やダンスをコラボして、今、総合芸術を作っているそうなのです。

日本からも、音楽家やダンサーが来たんだよ〜って教えてくれました。芸術フィルムもこの作業所で、日本の方達とこの間、作ったそうです。



そしてこのポスターは、最近、公演された自閉症をテーマにした舞台だそうです。
ダンサーは日本人とドイツ人のハーフの方。
自閉症をテーマのダンスって、どんな舞台だったのか観たかったなぁと言ったら、これからは私にも、興味があるなら色んな情報とか教えてくれるそうです。

そして、オットーさんは芸術のワークショップもやっているそうなので、芸術家になりたい娘ちゃんと秋に参加することを約束しました。

作業所の話しは、次回に続きます。



ヨハナおばあちゃん、かなり回復してちゃんと1時間ぐらいしっかりお話しも出来るそうです。

ただ本当に、幻覚が見えるみたいで、無いのにカーテンが見えたり
金や銀のピカピカするモノをドクターや看護婦さんが持って光らせていたり、黄色の得体の知れない物が見えるらしいのです。
後、肺炎になってしまっています。血圧も落ち着きがないので、もう少し、集中治療室で過ごす事になりました。

夫が、ヨハナおばあちゃんの所に行っている間、私と子どもたちは作業療法士さんの所へ行って来ました。

アマデウスが作業療法を受ける日だったのでした。



こんな大きなハンモックみたいなものに乗っかって、作業療法士さんがスポンジのボールを投げるので当たらないように
動くのです。


楽しくて、とても盛りあがります。


次は粘土を使ったセラピーです。
袋の中の小さな紙を取り出し、紙の中に書いてある課題を粘土で造形して、何を作ったかお互いにあてます。

私もこっそりアマデウスの課題を見ました。「家」「車」「町」なんて、書いてありました。
中に「粘土」っていう課題もあって、なんのことだかわからなかったけれど、どんな形に作ってもいいからラッキーなのでした。


楽しいセラピーなので、はめを外したアマデウス。セラピー用のレンズ豆を、わざと床にまき散らしてしまいました。

当然、自分で掃除する事に..... 


最後にこんな宝箱から、プレゼントをもらえます。中に色んな小さいおもちゃや本が入っています。


お誕生日だったからだそうですが、3人全員とももらえたのでした。

作業療法士さんが、優しくて子どもの目線に立って、いっぱい遊んでくれるので、アマデウスもニコ君も、本当に嬉しそうに通っています。



「魂の保護を求める子どもたち」
この本はもう10年以上も前に買った本です。
私がまだドイツに来て、2年目の頃です。1人の日本人のお母さんに出会いました。お母さんはK子さんと言います。K子さんは、中学生の双子の女の子がいて、1人は
ダウン症を持ったお子さんでした。その2人の子供達を連れて、ドイツまでシュタイナー教育の中の「治療教育」を学びに来られていたのです。
そのK子さんが、ドイツに来る前に読んで、大きな影響を受けたのがこの「魂の保護を求める子どもたち」の本です。
私も、K子さんにそんな話しを聞いて、読んでみることにしたのです。

この本は「キャンプヒル」と呼ばれる、シュタイナーの考えに基づいた障害を持つ人たちのための共同体の創立者の1人であるトーマス・J・ヴァイスという医者が書いた本です。40年以上も前に書かれた本なのに、読むたびに彼の経験からの洞察力と見解に驚かされます。シュタイナーの治療教育に興味がある方におすすめ出来る本です。(調べてみたら、もう出版はされていないようですが、中古では購入できるようです)。

この本の中から、ダウン症の子供について書いてある事を引用します。

「すでに申し上げたように、ダウン症の赤ちゃんのこの姿は妊娠二ヶ月頃の胎児の姿です。それよりさらに二ヶ月遡ると、胎児、あるいは胎芽は、いわば完全な球体をなしています。この受精卵という微細な球体は、それ自体が一つの宇宙です。可能性だけを含んだ宇宙、まだ展開されていない未来を含んだ宇宙なのです。こういった初期の要素のいくつか、丸みを帯びた姿や未分化の可能性を、ダウン症の子どもは一生を通じて何らかのかたちで保持しているのです。」

「ダウン症の子どもはたいてい、外に向かって大きく広がった幼児の意識と、中心に向かう成人の意識との中間にとどまっています。現代人の特徴である、世界からの孤立、あるいは疎外化という段階には、決していたることはありません。ダウン症の子どもはユニークなかたちで、周囲の環境、なかでも自分と親しい人びとと一つに結ばれています。まるで、自分が出会うすべての人を、兄弟姉妹として、あるいは年配の人であれば、父親、母親、その他の家族の成員として、体験します。ダウン症の子どもは、人類にたいして、一種の家族感情を保持しています。「異邦人」の体験は、ダウン症の子どもにとっては未知のものなのです。」
「ダウン症の子どもは、共感に満たされています。まだ、知識から生じる懐疑という刺が、胸に刺さっていないのです。ダウン症の子どもの愛は、痛みや意識から生まれた愛ではありません。それは、ある意味では、根源的な愛、知性の知識を全く受けていない無垢の愛なのです。」

「私が申し上げたいことは、私たちはダウン症の子どもと共に生きることを学ぶべきだということ、たとえダウン症の子どもが私たちと違っていても、深い本質の部分ではもっとも人間的であるということ、そして私たちはダウン症の子どもを私たち自身の仲間として、兄弟として、受け止めるべきだということなのです。」

あのダウン症の女の子がにっこりする度に、私は彼女から「無垢の愛」をもらっていた事に気が付きました。

そして、障害があるなしにかかわらず、どんな人でもみんな、やっぱり大事で、生まれるべきしてみんな生まれてくるんだなって思います。みんなで「共に生きていくこと」の大切さを教えてもらいました。

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