遊覧船に乗り込んで、対岸側まで行くことにしました。

ガンドリアの村の様子を水上から見ると、こんな風景が見えました。


船からの、見ると山々が綺麗だったので乗って良かったなぁって思いました。


船に乗っている時、ある事に気が付きました。今までいたガンドリアの村があった側は明るくて、これから行く右側はどうやら暗くて、山が緑がずいぶん深い所だということに。


対岸側は黄色の建物がぽつりと建っていました。私達と後、何人かのドイツ人以外、誰も
遊覧船から降りませんでした。

その建物は博物館で、何の博物館って思ったら「関税博物館」って書いてありました。

「博物館の名前からして、面白いのかな。ここに入る価値があるのかなぁ」って夫にドイツ語でつぶやいていたら、目の前に博物館の館長が立っていて、その方はイタリア語だけでなくドイツ語が上手な方で、思いっきりその会話を聞かれていました。

「はい、では私がこの博物館について少し説明するので、聞いてから入るか入らないか決めてください」と館長から話しかけられました。館長が色々と説明して来ます。

そうなると、この関税博物館に入るしかないって気持ちなってしまいました(笑)。


この場所は昔からスイスとイタリアの境目で
関税所だったそうです。

そして、面白いのがここは、太陽が燦々と当たるガンドリア村に対して、地形の関係上、年間を通しても「ほとんど日光が当たらない場所」だそうです。


孤独にもたった通関士さん一家だけが住んでいたそうです。
子供達はボートに乗って、反対側まで学校に行っていたとのこと。
日が当たらなすぎて、冬がもの凄く寒かったらしいです。虫が結構出たり、奥さんが何時も穀物の入った麦のスープを作っていた事など、生活感溢れる話しを館長さんもお話ししてくれました。
とにかく「かわいそうな通関士の家族」ってガンドリアの村の方は思っていたようです。


この汚いサンダル、普通のサンダルじゃないです。サンダルの底に仕掛けがあって、中にゴールドを入れて、実際にイタリアからスイスに運ばれる所でした。
スイス側の関税って高かったんでしょうね……。


その他の展示は、見ても見なくてもいいような微妙な物たちが陳列されていました。虎の革とか、動物の剥製みたいのだったり……。誰かが作ったオリジナルUボートだったり…。どれもこれも関税で引っかかった物達です。

子供たちはどうやって麻薬密輸が行われているかという子供にあんまり見せたくないビデオを熱心に見ていました。
1回、胃の中に隠すとか、そういう場面が強烈です(笑)。


周辺を散歩して分かったのが、確かに日が当たらなくて、ガンドリア村と植物が全く違うのです。シダに覆われているし、ドイツの森に似ていました。葉っぱが枯れてヒラヒラ舞うなんて、オリーブの木がいっぱいの向こう側ではありえなかったのです。
さらに、こっちではシカが住んでいるみたいで、シカに注意!の看板を見ました。住んでいる動物も違う。。。

気がついたら外も博物館も私達、以外誰もいなくなってしまっていました。

館長さんは、現在の孤独の通関士のように今はここで1人で働いていました。ほうきを持って、熱心に掃除をしていました。掃除も1人でやるんだぁって思いました。

そして、「少しはここに来て良かったかな?」って言いながら、遊覧船にまた乗った私達に手を振ってお見送りまでしてくれました。

明るいガンドリア村から船で対岸に渡って、暗いガンドリアを体験できて、面白かったです。旅行ガイドには書いていないけれども……。
考えて見れば色んな意味で「境目」というのはなぜだか私のテーマでもあるような気がしてなりません。夢の中でも世界中、そして宇宙の境目を感じる場所にいることが多いです。



ルガーノ湖の湖畔にある美しい村ガンドリア村(Gandria)にも行って来ました。
ガンドリアの村は絶壁にはりつくような形の村で、石造りの家々の間を小さな路地と坂道が迷路のように入れ込んでいました。足が不自由な方はどうするのだろう……。そんな事を途中で思いました。私達も、歩くのが大変でした。



迷子みたいになって、気が付くとプライベートな敷地に入ってしまうのです。でも、住民の方は優しくて「通っていいよーー」って言ってくれるのでした。


小さな素朴な漁村なのに、バロック様式の立派な教会がありました。昔からこの村に住む人の生活の中心には信仰があった事を想像しました。




坂道を登った村の上部は、「オリーブの道」と呼ばれる歩道になっていて、名前の通りにオリーブの木が沢山ありました。とても太陽が燦々としていて、そこはスイスというよりイタリアのような地中海気候でした。

本当にオリーブの木だけでなく、レモンの木や大きなサボテンが生えてあったり、トカゲがちょろちょろと太陽の下で動いていました。

坂を再び、下って湖畔まで行くと、港になっています。遊覧船が通っていて、観光客がその船を待っていたり、湖畔のレストランで気分良く食事を楽しんでいました。


私達も遊覧船に乗ることにしました。ほとんどの人はこのガンドリア村からルガーノの町の港を目指しているようでした。
でも、私達はすでに車でルガーノの町も行って来たばかりでした。

そこで、ガンドリア村から直ぐで1つ先の港である対岸まで行ってみる事にしました。
チケット売り場で、対岸行きの船のチケットを買おうとしたら、はっきりと「対岸まで行ってもあまり意味ないです」と言われました。ガイドブックには博物館があるって書いてあるのに……。
こうなったら天の邪鬼みたいに、「でも、そう言われても、対岸に行ってみたいんです」と言いました。
そして、ドイツの物価の感覚では、対岸に行くだけにしては高すぎるチケットを購入して、遊覧船に乗り込みました。



湖からの景色は最高です。さて、対岸側はどんな所なのでしょうか。

続きは次回!

スイスでは泊まっていたこの山の家のから見える空の景色に毎日、感激していました。ルガーノ湖とその周りの山々の上に流れる雲が、大きく、よく見えてそれが時間によって美しい色に変わっていく姿がとても印象的でした。時間を忘れてずっと見ていたい気持ちになりました。

でも、子どもたちに「見て!見て!今、空がすごく綺麗でしょ。ほら、あの雲なんて、特別でしょう?」なんて言っても、「そうかな?ママって大げさーー」と言われてしまうのでした。


「何が特別なの?」って言われたのですが、よく見ると、


スマートフォンのカメラでは撮れきれなかったのだけれど、雲の中に、青い色とピンク色が入っていて、それがオパール色に輝いていたんです。見たときに「これは真珠の貝の裏側のオパール色と一緒だ」って思いました。

海の深くに沈むの貝の裏側の色が、まさか空にも現われるって凄いなぁ〜って思ったんです。反対に貝達も光もないのに、中がオパール色に輝いているっていうことも凄いなぁって…。もしかして空が海で、海が空なの?

家族に言っても、みんな、「ふうーーーん」
って感じなんだけれど、空を見てるだけで自分の中では色んな発見やインスピレーションを感じます。

ヘルマン・ヘッセの博物館に行って、彼が相当の「雲」好きという事がわかって、しかも同じこの場所の雲を見れた事も嬉しいと思って、今日、ヘルマン・ヘッセの「雲」という本を注文しました。どんな感性でヘルマン・ヘッセが雲を見ていたのか知るのが楽しみです。

「白い雲」

おお見よ
白い雲はまた
忘れられた歌の
かすかなメロディのように
青い空へ 彼方へと漂っていく

長い旅路にあって
さすらいの喜びと悲しみを
あじわいつくしたものでなければ
あの雲の心はわからない

私は太陽や海や風のように
白いもの さだめのないものが好きだ
それはふるさとを はなれた
さすらいの人の
姉妹であり 天使であるのだから

ヘルマン・ヘッセ

「Weiße Wolken」
O schau, sie schweben wieder
Wie leise Melodien
Vergessener schöner Lieder
Am blauen Himmel hin!

Kein Herz Kann sie verstehen,
Dem nicht auf langer Fahrt
Ein wissen von allen Wehen
Und Freuden des Wanderns ward

Ich liebe die Weißen ,Losen
Wie Sonne ,Meer ,und Wind ,
Weil sie der Heimatlosen
Schwestern und Engel sind

Hermann Hesse




スイスからドイツに帰って来ました。スイスからの帰り道は気温は29度で、夏のようだったのにトンネルを超える度に、気温も下がって、寒くなってドイツに入ったら雨も降っていました。帰って来て、この秋、はじめて暖房のスイッチを入れました。
14年前のスイス旅行では、お天気が悪くてゲストブックに「晴れているルガーノをいつか見てみたい。だからまた来ます!」なんて書いたので、今回の旅行は空の神様がスイスで応援してくれていたのかもしれません。

ブログは続けて、旅行の事を書きます。
今日はヘルマン・ヘッセの故郷の地を訪ねた時のことです。



ルガーノ湖からも車で15分ほどで辿り着くモンタニョーラ村(Montagnola)にやって来ました。ヘルマン・ヘッセの人生の後半、42才から亡くなる85才まで過ごした場所なのです。ここはヘルマン・ヘッセ博物館の入り口です。ハナルナが被っているのは、ヘルマン・ヘッセが被っていたのと同じタイプの帽子です。


中に入ると、ヘルマン・ヘッセの水彩画や当時の写真や日常に使っていた貴重な物が見れます。


ヘルマン・ヘッセの使っていたメガネ。レンズはまん丸。


ヘルマン・ヘッセの使っていたタイプライターかな。あっ、思いっきり触っているニコ。いい子は真似しないでください。。。


ヘルマン・ヘッセの書跡。ヘッセの書く字、実は読みやすいです。


ちょうど、特別展示が見られて、嬉しいことに「ヘルマン・ヘッセと日本」でした。自国以外で、日本ほどヘルマン・ヘッセの本が読まれた国はないそうです。教科書にも載ってあるなんて、そんな国は珍しいみたいです。

色んな方がヘルマン・ヘッセから影響を受けています。ポスターに書かれている「愛」の字の通り、日本人のヘルマン・ヘッセへの愛を感じました。

日本語のヘルマン・ヘッセ関連の書籍も沢山、出ています。読んだ事が無いのも沢山……。

小説なら、私も結構、持っています。その中から1冊、実は持って来て、スイス行きの車の中で読んでいました。

そうそう、ドイツ語の全集を夫も14年前にこの博物館で買ってました。あれはどうなってしまったのだろう。。。


博物館の窓から見た景色。この左のピンクの家が、ヘルマン・ヘッセが最初に住んだアパート。カサ・カムッツィ。この家の2階の3部屋を使っていたそうです。


壁には、面白い顔の模様が……。昔の家にはこういう装飾が壁に付いていました。

博物館では、ドイツ語だったけれどヘルマン・ヘッセについての映像も地下で見せてくれて、とても良かったです。

その後、せっかくなのでヘルマン・ヘッセのお墓を訪ねました。


ヘルマン・ヘッセの葬儀も行われたサン・アッボンディオ教会。糸杉が美しいです。


ここから、墓地に行ってヘルマン・ヘッセのお墓を探したのだけれど、探すのが難しいです。14年前にも来た事があったけれど、ヘルマン・ヘッセのお墓の3つ隣り辺りの全く関係ないヘルマン家のお墓をヘルマン・ヘッセのお墓と勘違いしていました。
そっちのお墓の方がしかも豪華な造りだったんです。。。

でも、今回はお墓にいた地元の人に聞いて、本物のヘルマン・ヘッセのお墓を見つけました。


この墓地の中でも素朴なお墓でした。この墓石は本の形なんだそうです。3番目の奥さんのニノンさんのお墓も一緒に並んでいました。

このお墓の場所を教えてくれた現地に住むおじいさんがイタリア語で話すので何を言っているのかわからなかったけれど、身振りを見て分かったことは、おじいさんが小さい頃、本物のヘルマン・ヘッセをよく見たことがあるそうです。自転車に乗っているヘルマン・ヘッセを……。
あと、おじいさんが指で向こうを指して「何とかなんとかシッダールタ、シッダルターー……」とか言うのですが、意味が分からず残念でした。
「シッダールタ」はヘルマン・ヘッセの書いた本の中でもすごく好きなのになぁ。

でも、実際にヘルマン・ヘッセに会った方に偶然に会えて嬉しかったです。



本日、発見!スイスのお家にはじめて泊まったのは、14年前の事だったみたい。すっかり忘れていたのだけれどゲストブックにこんな絵を残していました。

さらに半年後にもう1回、来ていてその時は面白おかしい絵日記を描いていたので、子供達もそれを見つけて喜んでいました。
この家の持ち主のミュラーさんも、日本語とドイツ語が混ざったそのユルユル絵日記を読んで、楽しんでくれていたそう。そんな事を聞くと書いておいて良かったと思うけれど、久しぶりに自分で読んでわかったのは、その時の記憶がほとんどないこと……。育児に疲れて記憶喪失になりかけていたのかな。


あの時、赤ちゃんだったアマデウスは今ではこんなに大きなお兄さんになりました。

なかなか大変なお兄さんです。
スイスの物価が高いから、一生懸命におにぎりやらサンドイッチやらヌードルでサラダなど毎日、ランチボックスを作ったのに、アマデウスは結局、ひと口も食べてくれませんでした。
お昼ごはんは温かくないと嫌だとか……。

いつも同じ服を着ていないと落ち着かないみたいだし、暑くても上着も脱いでくれなかったです。毎日、夏かと思うくらい暑かったのです。さらにシャワーもいつもと違うとかで、なかなか浴びてくれませんでした。爪切りも嫌いな感覚らしく、私が無理矢理、切っています。

ハイキングに誘っても、散歩に誘っても一緒になかなか来てくれないし……。

でも、この辺りで1番高い山の上に、夫と2人で行ったんです。本当はアマデウス、すごく動けるのでした。

昨日はルガーノ湖で、足漕ぎボートに乗りました。横にはアマデウス。ニコニコ笑って楽しんでいます。。なんか可愛くてたまりません。



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